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東京地方裁判所 昭和58年(ワ)2117号 判決 1984年6月26日

原告

福籠憲治

右訴訟代理人

小川芙美子

小口克巳

被告

ジェフ株式会社

右代表者

田居敏

右訴訟代理人

桐ケ谷章

新堀富士夫

桝井眞二

熊田士郎

主文

1  被告は、原告に対し、金八一万三三五七円及びこれに対する昭和五八年三月二五日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  この判決は、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  原告

主文第一、二項と同旨の判決及び仮執行の宣言を求める。

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  原告は、昭和五三年一〇月二日、訴外ジャパンエクスプレスファイナンス株式会社(以下「訴外会社」という。)に雇用された。訴外会社は、昭和五五年六月に消費者金融部門を分離して被告に債権債務を引き継いだところ、原告もこれに伴い被告の従業員となつた。

2  原告の被告会社における昭和五五年度夏季ボーナス(支払期同年六月二五日)、同年度年末ボーナス(支払期同年一二月二五日)及び昭和五六年度夏季ボーナス(支払期同年七月二八日)の合計額は金九七万九九九七円である。また、原告は、昭和五六年九月三〇日被告会社から解雇の通知を受けたので、解雇予告手当として、一か月分の賃金相当額一七万四四七七円の支払を受ける権利を有する。

3  ところが、被告は、右の三期分のボーナス金九七万九九九七円及び解雇予告手当金一七万四四七七円の合計金一一五万四四七四円のうち、原告の被告に対する借入金返済分金三四万一一一七円を除いた金八一万三三五七円の支払をしない。

4  よつて、原告は、被告に対し、右の金八一万三三五七円及びこれに対する弁済期の後である昭和五八年三月二五日(訴状送達の翌日)から支払ずみに至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  被告の答弁

請求原因第1、2項の事実は認める。

三  被告の抗弁

1  原告の訴外会社に対する債務不履行ないし労働契約違反行為

原告は、昭和五四年一月から訴外会社八重洲支店長として勤務していたが、次のような不正な貸付けを行い、訴外会社に貸付残元金だけでも金一一九七万七〇六三円の損害を与えた。

(一) 原告は、訴外会社八重洲支店長として、訴外堀田勇吉及びその紹介に係る八名の者に対し、その支払能力を調査することなく、返済を受ける見込みのないままに、合計金六〇〇万円の金員を漫然と貸し付け、よつて、残元金だけでも合計金四二二万四六六五円の回収不能債権を発生させ、これと同額以上の損害を訴外会社に与えた。

(二) 原告は、訴外会社八重洲支店長として、堀田勇吉が顧客として紹介すると称して連れてきた者に対し金員を貸し付けるに際し、借受名義人について簡単な調査をすれば、堀田が連れてきた者と借受名義人とが全く別の人物であり、真実は堀田勇吉が自己の用途に費消するため、返済の意思も能力もなく、全く無関係の者の名を借りて借入れをしようとするものであることが容易に判明したにもかかわらず、何の調査もせず、堀田勇吉が連れてきた者五名に対し合計金二五〇万円を漫然と貸し付け、よつて、残元金だけでも合計金二〇九万七四一九円の回収不能債権を発生させ、これと同額以上の損害を訴外会社に与えた。

(三) 原告は、昭和五五年三月ころ、訴外会社八重洲支店長として、堀田勇吉から多額の金員の貸し付けを依頼され、他人の名義を不正に使用してその者らに貸し付ける体裁をとつて堀田勇吉に金員を貸し付けようと企て、堀田勇吉に返済の意思も能力もないことを知りながら、あるいは当然知りうべきであつたのに、又は就業規則に違反して、堀田勇吉に対して一二名の名義を不正に使用して合計金六〇〇万円の金員を貸し付け、よつて、残元金だけでも合計金五六五万四九七九円の回収不能債権を発生させ、これと同額以上の損害を訴外会社に与えた。

2  ボーナス等の預託

(一) 原告は、昭和五五年度夏季及び年末並びに昭和五六年度の夏季の各ボーナスの支給時期に、被告に対して、自発的に、原告が被告から支払を受けるべきボーナスは、原告の訴外会社に対する前記1の損害賠償債務の弁済に充てるため、被告に預ける旨を申し出、被告はこの申し出に基づき、原告に支払われるべきボーナス合計金九七万九九九七円を預つた。

(二) 原告は、昭和五六年九月三〇日、被告を退社するに際して、被告に対して、右のボーナス及び解雇予告手当金一七万四四七七円を右の損害金に充当してほしい旨を申し出、被告はこれを承諾して預つた。

(三) 訴外会社は、右(一)、(二)の原告の申し出に基づき、同年一一月三〇日、右の内金八一万三三五七円を訴外会社の原告に対する前記1の損害賠償請求権の一部に充当することとした。

3  よつて、被告は原告に対し、前記ボーナス及び解雇予告手当金の支払義務を負わない。

四  抗弁に対する原告の答弁

1  抗弁第一項について

原告が訴外会社の八重洲支店長であつたこと、原告が(一)記載のように堀田勇吉及びその紹介に係る八名の者に対し、合計金六〇〇万円の金員を貸し付けたこと、原告が(二)記載のように堀田勇吉が連れてきた者五名に対して合計金二五〇万円を貸し付けたこと、原告が(三)記載のように一二名の名義を冒用して堀田勇吉に対して合計金六〇〇万円の金員を貸し付けたことは、認めるが、その余の事実は否認する。

被告主張の(一)記載の貸付けについては、原告は、給与明細書等により返済能力、人物の同一性を確認したうえで訴外会社の貸付限度額の範囲で貸し付けたものであつて、通常の貸付業務であり、原告に何ら不正、不当の点はない。

被告主張の(二)記載の貸付けについては、原告は、堀田勇吉紹介の人物については、同人が保証人となることを条件として、名刺呈示、勤務先に対する在籍確認及び口頭の陳述等の人物調査で貸付けを行つたが、このような方法は、訴外会社において支店長の判断で行われたこともしばしばあり、過失があるとはいえない。

被告主張の(三)記載の貸付けについては、原告は、支店の営業成績を上げようとする職務熱心の余り、堀田勇吉から第三者振出の手形を担保として預ることを条件として貸し付けを行つたものである。

訴外会社のような庶民金融業者において、回収不能分は高利の利息によつて賄われるべきもので、これについて従業員が個人として責任を負うべき筋合いはない。

2  抗弁第2項について

抗弁第2項の事実は否認する。被告会社においては、原告のボーナス及び賃金は、原告の指定銀行口座に振り込むことによつて支払われることとなつていたところ、昭和五五年度夏季及び年末並びに昭和五六年度夏季のボーナスについては、振込みがされず、堀田勇吉に対する融資問題が解決するまでは被告において預る旨の通知が一方的にされただけであつて、原告が自由意思により被告に預けたものではない。また、解雇予告手当についても同様である。更に、被告は、昭和五六年九月三〇日、原告が退社するに際し、前記のボーナス及び解雇予告手当の合計金一一五万四四七四円につき、そのうち金三四万一一一七円は、原告の被告に対する個人的借入金の弁済に充当し、残金八一万三三五七円については堀田勇吉の訴外会社に対する借入金の弁済に充当してほしい旨の念書を書くことを強要し、原告はやむなくこれに応じたものであつて、原告の自由意思に基づくものではない。

このように、被告が、一方的にボーナス及び解雇予告手当を預るとすることは、賃金全額払の原則に照らし許されない。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因第1、2項の事実は、当事者間に争いがない。

二そこで、被告の抗弁について検討する。

被告は、原告は訴外会社の八重洲支店長在職当時不正貸付けを行い、訴外会社に金一一九七万七〇六三円の損害を与えたところ、原告は、その自由な意思に基づき、昭和五五年度夏季及び年末並びに昭和五六年度夏季の各ボーナス及び解雇予告手当金を右の損害賠償債務の弁済に充てる趣旨で被告に預けたもので、被告には右金員の支払義務はないと主張する。

そこで、右のように賃金を損害賠償債務の弁済に充てる趣旨で使用者に預けることが労働基準法二四条一項に定める賃金全額払の原則に違反しないか否かが問題となる。右規定は、労働者の賃金が労働者の生活を支える重要な財源であることから、使用者が一方的に賃金を控除することを禁止し、もつて労働者に賃金の全額を確実に受領させ、労働者の経済生活をおびやかすことのないようにしてその保護をはかろうとする趣旨である。このような賃金全額払の規定の趣旨から考えると、労働者が使用者(又は使用者と密接な関係にある第三者)に対する損害賠償債務の弁済に充てる趣旨で賃金の全部又は一部の支払を受けないことは、それが使用者の一方的な意思によるときは、労働者の賃金債権に対して、使用者が労働者に対して有する債権をもつて相殺することと同様の結果となり、許されないことはいうまでもないけれども、労働者が自由な意思に基づいて使用者との間にその旨の合意(相殺の合意に類似した合意)をした場合にまでこれを許されないと解することは相当でない。ただ、使用者と労働者との契約関係の特質からみて、賃金債権に関する相殺の合意は労働者が使用者によつて強制されて余儀なく締結することとなる危険が大きいから、右の合意が有効であるというためには、右の合意が労働者の自由な意思に基づくものであると認めるに足りる合理的な理由が存在しなければならないものと解するのが相当である。

そこで、このような観点から、本件の事実関係を検討すると、<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができ<る。>

原告は、昭和五四年一月から訴外会社の八重洲支店の責任者として、顧客に対する金員の貸付業務に従事しているうち、顧客として来店した堀田勇吉と知り合い、同人や同人の紹介してきた者に金員の貸付けを行うようになり、昭和五五年に入つてからは、同人の依頼により他人の名義を使用してその者らに貸し付けたように装つて同人に金員の貸付けをし、昭和五五年四月ころには、これら堀田勇吉やその関係者に対する貸付金の残高が一千万円を超えることとなつた。訴外会社は、このころ右の事実を知つたので、原告を八重洲支店の責任者の地位から解任し、本社勤務とした。訴外会社は、原告をして堀田勇吉に対して貸金の回収に当たらせるとともに、原告及び原告のおじであり、身元保証人である前園清丸に対しても堀田勇吉に対する未回収金の支払を求め、原告は、同年六月九日訴外会社に対して堀田勇吉に対する貸金の未回収分として金九四七万四五七一円を責任を持つて支払う旨の念書を差し入れた。その後、訴外会社は消費者金融部門を分離して被告に債権債務を引き継ぎ、原告も被告の従業員となつた。被告会社の従業員に対する賃金の支払は従業員の銀行口座に対する振込みの方法により行われていたところ、原告は昭和五五年度夏季のボーナスの振込みがされていないので、被告会社の担当者に照会したところ、堀田勇吉関係の問題が解決するまで預つておくといわれ、原告はこの措置に不服ではあつたが、あえて異議を申し出ることはなかつた。昭和五五年度年末のボーナス及び昭和五六年度夏季のボーナスについても同様であつた。昭和五六年九月末になつて、堀田勇吉に対する貸金の回収のめどがつかないので、被告会社は原告を解雇することとし、原告にその旨を通知し、同年九月三〇日、原告は、被告会社から強く要求されて身元保証人の前園清丸に対し迷惑がかかることを恐れたこともあつて、やむをえず、昭和五五年度夏季及び年末並びに昭和五六年度夏季のボーナス金九七万九九九七円並びに解雇予告手当金一七万四四七七円合計金一一五万四四七四円のうち金三四万一一一七円は原告の被告会社からの借入金の返済に、残金八一万三三五七円については堀田勇吉の訴外会社に対する借入金の弁済に充当する旨を記載した念書を被告会社に差し入れた。その後、訴外会社は、同年一一月、原告及び原告の身元保証人前園清丸に対して、原告が堀田勇吉及び同人の紹介した顧客に対して貸し付けた金員の未収金一三一三万九九四四円について、原告の債務不履行ないし労働契約違反を理由とする損害賠償を求める訴えを提起した。

右に認定した事実によると、被告会社は、原告に対する前記ボーナス及び解雇予告手当金について原告の訴外会社に対する損害賠償債務の弁済に充当する趣旨でその支払を留保し、原告もやむをえないものとしてこれに承諾を与えたものということができるものの、原告の訴外会社に対する損害賠償債務の存否及びその額については争いがあり得ること、原告は、ボーナス及び解雇予告手当を積極的に損害賠償債務の弁済に充当する旨を申し出たのではなく、被告会社からその支払を留保されたうえ、承諾することを強く要求されて、身元保証人の前園清丸に対し迷惑がかかることを懸念して、やむをえずこれに承諾を与えたにすぎないこと等の事実からみて、ボーナス及び解雇予告手当金を被告会社に預けることを承諾したことが、原告の自由な意思に基づくものであると認めるに足りる合理的な理由が存在したものと認めることはできず、結局原告が自由な意思によりボーナス及び解雇予告手当金を損害賠償債務の弁済に充当することを承諾したものとすることはできない。

そうすると、被告会社が前記のボーナス及び解雇予告手当金を損害賠償債務の弁済のために預つたことは、賃金の全額払の原則を定めた労働基準法二四条一項の規定に違反するから、被告会社は原告に対し、前記のボーナス及び解雇予告手当金を支払うべき義務があるといわなければならない。

三よつて、前記のボーナス及び解雇予告手当金の内金八一万三三五七円及びこれに対する弁済期の後である昭和五八年三月二五日(訴状送達の翌日)から支払ずみに至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める原告の請求は、すべて理由があるから、認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(今井功)

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